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LONDON CALLING

十代半ばから後半にかけてのわたしのアイドルはイギリスのロックバンド、The Clashのジョー・ストラマーだった。
パンクの隆盛はすでに去り、ポストパンクの時代に入ったころだったが、
ラジオでロンドンコーリングを初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられない。
あまりのかっこよさに背筋がゾクゾクした。
それ以来、ジョー・ストラマーはわたしのアイドルであり、ヒーローであり、神であった。
音楽はもちろん、ジョーのすべてがかっこよくて、その思想、発言、行動、何もかも崇拝していた。
初めて行った外タレのコンサートもクラッシュだった。
それはもうかっこよくて、高校生だったわたしはその後しばらくは熱にうなされたようであった。
そんなにもわたしのすべてだったジョー・ストラマーとクラッシュだったが、
十代も終わりに近づいたころから、なんとなく距離をおくようになった。
理由はよくわからない。
クラッシュの音楽はあいかわらずかっこよかったし、ジョーもかっこよかった。
変わったのはわたしだったのかもしれない。
ジョーの言葉を素直に受け入れることができなくなっていた。
なんとなく空々しく響くことが多くなった。
クラッシュの曲も聴く頻度が著しく減った。
アズテック・カメラのロディ・フレームがWalk out to winterという曲の中で、
ジョー・ストラマーに決別したときに、わたしもジョーとクラッシュとの決別感じた。
その後、クラッシュの曲を聴くことができなくなった。
できなくなった、というのは変な表現だが、ほんとうに聴くことができなくなったのだ。
好きでよく聴いていた曲をあるときからぱったり聴かなくなった、とか急に魅力を感じなくなったということはよくあるのだが、聴くことができなくなった、とはまた違う。
嫌いになったわけでもないし、飽きたというのも違っていた。
ただ、聴くことができなくなったのだ。

そして、2002年12月、ジョー・ストラマーは帰らぬ人となった。
すごくショックだった。悲しかった。でも、やっぱりまだクラッシュを聴く気持ちにはならなかった。
それからすでに8年半、どうしたわけか、突然ロンドンコーリングが聴きたくなった。
15歳の誕生日プレゼントに買ってもらったロンドンコーリンというアルバムを、31年後の誕生日に再び買ってみた。
やっぱりかっこよかった。
すでにこの世の人ではなくなってしまったジョー・ストラマーを神と仰ぐことはないけれど、
クラッシュの音楽は永遠だった。今でもわたしの好きな音楽であることは間違いない。
ipodに入れて普段聴くのかどうか自分でもわからないけれど、とりあえずipodに入れた。

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by Giovanni12 | 2011-07-03 10:45 | ひとりごと